アベンジャーズから見たアメリカの正当化論
今のアメリカで絶大な支持を得ている映画文化といえば間違いなく
アベンジャーズです。
アベンジャーズだけじゃなくて似たシリーズのヒーロー物とかも大人気ですよね
今年の春にアベンジャーズの映画、エンドゲームが公開された時にはもう大学中がこの話題で持ちきりでした。ダイニングホールに入るや否や聞こえてくる会話がほぼ全員アベンジャーズ関係だったりアメリカの若者に多大なる影響を与えてるアベンジャーズですが私はそんなに好きじゃないんです...
アベンジャーズ好きな友達が多いのでよくアベンジャーズ系列の映画を見に行く機会が中学ぐらいの時から多かったんですよ
何回映画を見ても私好みじゃないのでアメリカでのアベンジャーズ熱は個人的にはちょっと過大評価かな?って感じだったのですが
見に行ったんですよ。エンドゲーム。今年の5月だったかな。
普段は閑散としてる映画館がめっちゃ埋まっててびっくり。エンドロールが流れた瞬間泣き出す人とかいたんですがはっきり言って私は超冷静に見てました。
ただ上映中ずっと気になってたのが
アベンジャーズは結局 暴力を正当化してんじゃん?
という事です。
全国のアベンジャーズファンの皆様ごめんなさい。この先アベンジャーズに対する否定的な意見が出てきます⤵︎
一応アベンジャーズとそのシリーズの最終章「エンドゲーム」を見た事がない人のためにストーリーを簡単に言うと
アベンジャーズというヒーロー達が集結した団体が
このサノスという全身紫のアントニオ猪木みたいな悪役を倒すという典型的な感じです。要するにアンパンマンとか食パンマンとかが何人か集まってバイキンマンを倒す的な。
アベンジャーズ系列の映画はヒーローの一人一人の映画を出したりしててみんな色んなバックグラウンドを持ってるんだよって感じのお話になってます。
で見てて思ったんですが
確かにサノス(通称:アゴ)は悪役という事になっている。星々を荒らして人口を削減しているという設定なのだが、もっぱら本人は人口を減らす事が少ない資源を残った充実に確保するという政治家の様なビジョンを持っているのだ。エクストリームな手法で魔法の石(インフィニティストーン)を集めて人口を半分に減らすのだがサノス自身はそれがみんなが苦しまない唯一の方法だと信じている。
本人は救世主のつもりなんですよ。方法は暴力的でかなり荒ぶってますが。
あるじゃないですか、親切心で助けてくれてるんだけど逆効果な場合とか。
アゴは一旦置いておいて、
アベンジャーズはアゴを倒すために集まってネタバレですが最終的に殺害します。
最後はサノスいなくなって「やったぜ!」だったり色々と他のキャラクターのその後みたいなのが出てきますがここでは割愛します。
はい。これがアベンジャーズ映画の簡単なストーリーなんですが
正義 vs 悪をめっちゃ強調してないですか?
ヒーローものって大体そうですよね。アンパンマン vs バイキンマンとか。
アベンジャーズの場合主人公がアベンジャーズ達なので必然的にアベンジャーズが「正義」って事になります。
そうすれば勿論「悪」が必要となりますよね?その場合悪は滅ぼすターゲットになります。なぜって?正義側が正しいなら悪は倒さなければいけない。
我々は正義でそれ以外は間違ってる、即ち排除です。
なので悪(サノス)を倒すという事が正当化されます。
サノスも暴力的な行為をしてきた。でもそれは結局サノスの目的は全て利己的ではなく、世界中の資源を人々に行き渡らせるためだった。サノスはサノスで正当化しているのだ。
でもアベンジャーズは「悪」を倒すために暴力(サノスの首をはねたり正義と言えども残虐..)を振るう事が正当化されてるのである。
アベンジャーズはこう思ってるはずだ。「だって悪は倒さなきゃいけないじゃん?」
この正当化ってただ残虐な行為を使命や正義の宿命に仕立て上げてる様な感じしませんか?
こうやってアメリカの若者の「正義」はこういう映画で刷り込まれる正当化論によって作り上げられるのかと内心思いました。
エンドゲーム見た帰りに友達にこの話をしたら「アベンジャーズを見た人の感想というよりも某教授のハーバードの講義聞いた帰りみたいな事言うね」と(笑)
でも実際歴史ってそんなもんなんですよね
先住民虐殺を野蛮人の撲滅という謎な理由で正当化したり
原爆も戦争を終わらせる為に必要だったとアメリカは言うし
ドイツのユダヤ教の迫害もナチス側が アーリア人=正義, ユダヤ= 悪と正当化していたというバックグラウンドがあるし
ヨーロッパの中世史〜近代史とか見ると大体 キリスト教=正義 だからそれ以外の宗教は悪!なので根絶すべき!みたいなエクストリーム正当化がよく出てきますよね。
国やリーダー、宗教、文化的集団とかが自分たちの意見やステータスを確立したり有利な立場につくために暴力や残虐性を正当化してきたのが歴史ですもん。
バイキンマンだって行動に何かしらの理由はある訳だし 何がサノスを悪役に追いやったのかを説明する映画が無いので何も言えませんが
自分の「善」は誰かの「悪」かもしれなくて
正義はどこにでもあってどこにもない。
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八方美人なのは良い事なのか?
突然ですが
あなたは嫌いな人に優しくしますか?
私は気分次第ですが何か聞かれたり咄嗟の判断が必要とされる場合は割と親切に道を教えたりしてしまうタイプだと思います
今まで色んな文化的背景で育った人とかを見て来て思ったのが
みんなに優しくする、あるいは
他人に優しい事は正義なのか?
という事なのですが
これは人によってめっちゃ意見が分かれそうですね
日本で「他人に優しい事」というのはどういう風に受け入れられてるのかは分からないのですが、サービスとかを見ると表向き皆優しくすべき?な風潮だと思ってます。
でも大体の人が
見ず知らずの人から親切にしてもらった経験もあるし
めっちゃ失礼な態度の人にイラっとしてコーヒーぶっかけたくなる時もありますよね
優しいと言う定義は人によると思うんですが
人として他の人を尊重して思いやりを持つのが優しさでもあるんじゃないでしょうか
八方美人という言葉がありますが、これは周りの人間関係がとても良好な場合のみ好意的に受け取られるのではないかと思います。
全員と仲良くしていたら、誰かしら「なんであの人と仲良くするの?」等の不満が出てくる為、八方美人はちょっと残念な状況になってしまうかもしれませんね。
問題は、みんなに表面的にいい人であるならば本来の自分を見せてない「嘘の自分」を見せている事にもなるケース。
自分の感情を偽ってまで他の人に媚を売るようになったらレッドゾーンではないでしょうか?
自分が他の人にいい人だと思われたいと言う人は結構多いですよね
でも自分を犠牲にしてまで評判を優先しますか?人によってするしないあると思いますが自分の経験的には NO だと思ってます
あくまでも個人の意見なので正しいかどうかは置いといて..
人に好かれている、または人徳があれば色んな情報も入ったり仕事などを紹介されたり好循環ですよね
こういうビジネス的な面で見れば好かれる事は大事かなとは思ってます
でもこれは目的は自分の成功ですよね。別に批判はしませんが人によっては魂胆が見えてると嫌われるケースが多いような?
純粋に自分の素を見せた上で好かれる、または嫌われるなら別にいいじゃないですか
根本的に合わない人はフィルタリングされて会う事は無いし 本当の自分を気に入ってくれるなら本望ですよね。
これが難しいんですよ
いい人の演技をしている自分を見て好いてくれる人はもしかしたら「本当の自分」とは合わない人たちかもしれないし、それでいて縁を切ってもビジネス的には良くないし
かといって
いつもニコニコ笑顔で機嫌良さそうにしているのは正解なのか? と疑問に思います
不機嫌そうな人を見るといちゃもん付ける人って良く居ますよね
でもここで私の周りでは意見が分かれます
A: あえて自分の本当の感情を隠してまで他人に良く思われたいか?
B: 他の人の気分を害さない方が自分の為。自分の印象をコントロールすべき (例: 気さくでフレンドリーな印象を維持する等)
Aの人達によると
-わざわざ自分のエネルギーを無駄にしてまで他人の目を気にしたくない
-自分の感情に嘘をつくのは疲れる
-実際不機嫌だったらそれを見せて何が悪い
Bの人達は
-印象をキープすれば良好な人間関係を維持できる
-自分が機嫌がいいふりをすれば周りの態度も良くなる
-不機嫌さを前面に出すのは大人気ない
今までは割と B の考え方を支持してきた私ですが
最近、A的な考え方が割と理にかなってるのではないかと思い始めてきました。
自分の人生の主人公は自分なんだから自分の感情に忠実で何が悪い?
的な強気な姿勢で生きるのが大事なのかな、と。
多分自己中心的だと思う人もいると思いますが他人に迷惑をかけたり犯罪をしなければいいんじゃないですかね
人生いつ死ぬか分からないし、行動できる時間も限られてるから好きなようにすればと。
あと親切 = 社会的な貢献という公式が頭の中に出来上がっていればもっといい世界になるんじゃないかなと思います
ちょっとした親切が誰かの一日を明るくする、みたいなね
後ろの人の為にドアを開けてあげるとか、そんな親切を心からできる様にみんながなればいいな
不機嫌な人や態度の悪い人を見ても「多分この人は自分に忠実なんだな、多分辛い事があったんだな今日」みたいなノリで受け入れられればちょっとでも社会的に生きやすくなるのかもしれません
以上,
人類学のクラスで人間関係は「他の人に見せたい自分のイメージ」を演技する事によって成り立ってる という論文を読んで考えさせられた問題でした。
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アメリカなのに日常会話に「紅茶」が欠かせない大学生達
思いっきり謎なタイトルになってしまいました。
そうなんです。「紅茶」が今アメリカ人の高校生や大学生の間では欠かせない言葉なんです。あ、飲む事がブームなんじゃありません。会話中に使われます。
というのも言い回しに tea を入れるのが流行りなんです
今年に始まった事じゃ無いんですが 大学生の間ではよく使われてますね。
頻度的には大学キャンパスの食堂に1時間居たとすると3回ぐらいは耳に入ってくるんじゃ無いかっていうレベルです(微妙な例え)
どういうフレーズで使われてるのかというと...
That's not my cup of tea
この表現、直訳すると
「それ私のお茶じゃ無いわ!」
だけど
自分のお茶がどれかハッキリさせたいわけじゃなくて、自分の好みじゃないって時に使われてるイメージです
例えば:
私このお菓子大好き!あなたもこういうの好きでしょ?
と自分好みではない物に同意を求められてたら
"well sorry that's not my cup of tea"
ごめん、そういうのあんまり好きじゃない(苦笑)
的な感じで返す事が多い印象。
これは割と昔からあった表現らしいですが、最近になって若者の間で再発掘されてる言葉らしいですね
あともう一つの言い回し。
Spill the tea
直訳するまでもないですが一応直訳すると
お茶をこぼせ!!!
なんですがアグレッシブですね突然(汗)
この場合は秘密を漏らせ的な意味でゴシップやニュースを教える時に使います。
秘密やゴシップを漏らす方じゃなくてその周りが 「早く教えて!」と急かすような感じで使われてます。
例えば
"oh my god, I have a very interesting story about them!"
〇〇さん達の事についてすっごい事聞いちゃった!
一同: "what is it!? SPILL THE TEA!!!"
何々!?教えてよ!!
アメリカってボストンティーパーティのイメージが謎に強くて(高校の歴史のクラスの影響?)
イギリス = 紅茶 そして アメリカとイギリスはなかよし的なイメージがなかったのでアメリカ人がよく会話に tea を入れたフレーズを使うのがちょっと皮肉に感じられました。はい。紅茶を捨てつつも会話には紅茶を欠かせないアメリカでしたね
ちなみに学校の食堂の紅茶はリプトンです
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PUBG (ゲーム) で悟りが開けたかもしれない
一年生の時はあまり更新してなかったブログですが
夜中までエッセイやら復習やらをしていた1学期に比べて勉強もしてたけどゲームに依存していた2学期の方が成績が爆上がりだったのが謎です
AとA-のみで構成されている成績表を目の当たりにしたのは久しぶりかもしれません
集中力を養った気がしますねはい
いきなりゲームの紹介なんですが単純作業じゃないんですよこれが
キャンディクラッシュのように地道にパズルを動かす代物ではなくて実際にサバイバルフィールドでリアルタイムで他のプレーヤーを倒しつつ生き残る知能戦で
これがまたヒラメキが多いんですよ
通称PUBGです
ちなみに某知り合いにキャンディクラッシュ レベル1430(2019年8月末当時)の人がいますがこのブログを見てるそうなのでこんにちは
まあとにかく チーム戦で友達と一緒にゲームしてたんですが このゲームって勉強だけでなく人生に必要な要素が詰まってんじゃんって毎日気づきが多かったですね
まず最初の気づきは自分がゲームがめっちゃ下手な事。
考えてる事と指が連動しない。運動能力の限界を感じたので絶望した。
友達はこのゲーム始めた時期が同じなのに上達が異常に速かったので悔しかった。
悔しすぎて算数の授業中に何故こんなに差ができてるのかリストアップする程だったけどこの悔しさが更なるゲーム熱をヒートアップさせたことは言うまでもない。
悔しがり屋はゲーム内でのレベルアップ以前に分析から始めたのだ。
友達はゲーム中にもちろん失敗 (敵に不意打ちされる、隠れきれない、的を外した, etc) はするけれど自動的に失敗事例をパターン化してカテゴライズし、様々な事柄(全く違うようなことでも)に応用していた。
で判断力とは何?
オックスフォード大学の学びとかなんとかという本によると
自分が置かれている状況を把握する力
判断するタイミングを見極める力
自分の下した判断を正当化できる力
これをゲームに応用すると(真剣)
状況を把握する力 (立ち回り)
-敵は今どこにいるのか・どこにいそうか
-敵はどの方向に向かって動くか
-どの方向を向けば安全かつ敵を狙えるか
-敵に見えてないか・何処に行けば安全か
-敵は何処を狙ってるか予想
タイミングを見極める力
-今打つと敵に位置がバレないか
-今走り出すと周りにバレないか
-いつセーフゾーンに入るか
判断を正当化できる力
-あくまでも失敗を否定するのではなくてステップを踏み出すための自信になりうる根拠を持つ
-仮に失敗しても何故失敗したのか、どうすれば良かったのかを考える
-ゲームオーバーになっても悔しがる以前に次は何すべきかに注目できる
あと友達に言われたのが
「集中してないと非効率、一つの物事をやるなら徹底的にやる。ゲームでも勉強でも」
でよく考えたら勉強中もゲーム中も「喉乾いたー」とか「あとで何食べるかな」とか色々と考えが多くてその分中途半端だった。
あとゴール設定も大事だった。
ランクがいくつかあ流けど、あるランクに達すまであと何ポイント必要か計算したりしていた。
ポイントを多く稼ぐために一番効率の良い方法は何か、可能な限り短時間で多くの敵を倒して生き残るためだけではなく
どういった立ち回りをすれば敵に遭遇しにくく、かつ最後のtop 10まで生き残れるのか (top 10になるとポイントが多くもらえるため )
悔しさって原動力。真剣にこういう事を考えられるのも良い経験だったかも。結果はというと現時点では特別に世界が明確に変わった!様な実感はないんですが
ちなみに夏休み中あまり遊ばなかったら最初始めた時より下手になっててショックで全面的にやめました
でもその代わりゲームしてた2学期中成績が良かったので今学期の成績が気になる。
あまりにも頭を使うゲームだったので自分の中では色々と冒険してIQを鍛えた様なイメージだった。
学び学び。
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アメリカで大流行してるジャケット
アメリカの流行について周りから聞かれる事は全然無いのですが、ネットで検索しているとどうやら需要がありそうなので 2019年のメモ的な感じでアメリカの流行などを発信して行きたいなと思ってます。
という事で今年はカナダグースが大流行中なのですが、カナダグースって何ですかと思った貴方。私も最初は焼き鳥かなと勘違いしてました。
カナダグース (Canada Goose) はカナダから来たジャケット・ダウンコートブランドで現在アメリカの大都市に行くと大体みんなカナダグース着てました。(2019年3月調べ)
見た所、アメリカ人のお金持ち風なおばさん(マダムって言った方がいいのか..?) がよく着てるんですが 何と言っても中国人留学生のカナダグース所持率はありえない程高いですね。
中国人留学生5人グループ全員カナダグースだったり、ゴンチャの列並んでる人80%以上カナダグースとか社会現象になるレベルです
私の大学にはカナダグース着てる人少ないんですが、中国人の友達がカナダに住んでる知り合いに頼んでカナダグースをアメリカより安く入手しようとしてました。
最近よく見るカナダグースですが値段見たら...
EEEEEEEEEEEEEE
1050ドル = 11万円前後 (2019年4月現時点) とか学生にはめっちゃ高い(涙
なんか右のコラボしてるジャケットは軽く65万円超えてますね...
中国人留学生の財力、というか中国経済がカナダグースの流行に反映されてるのが面白いなと。ちなみに私はユニクロのペディン着てます...はは
このカナダグースの流行具合は一昔前の韓国のノースフェイスブームに似たような物を感じます。
2010年代の前半の韓国人学生はこぞってノースフェイス着てましたよね。
今は discovery expedition が流行ってます。よく日本のウェブサイトでペディンが流行ってるって書いてあるんですが今年は短めのダウンジャケットが流行してるみたいです。
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留学の為に大金とヤバイ手段を使う人達。
人の為じゃなくてもはや大学志願の為のボランティアだね。
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インサイダーから聞いた財団奨学金の闇