アメリカ留学したけどめっちゃ田舎。

留学情報総まとめ かなりぶっちゃけます 2018~

何を血迷ったのかアメリカの大学で算数 そして大後悔

生まれた時から算数が苦手だった様な気がする。

非常に幼い頃から小学生の終わりまで公文を続けていたものの、効果があったかどうかは分からない。中学生の時、他の教科の成績は良さげなのにもかかわらず、算数だけ成績表上見た事の無いアルファベットが載っていた事があったりした。

ちなみに私の高校の算数はレベル分けされており、

Algebra 1

Geometry

Algebra 2

Pre-Calculus

AP Calculus AB / AP Calculus BC

と 分かれていた。

しかもGeometry からPre-Calculusまでは Honors という特進クラスがあり、同じ Algebra 2 のクラスであってもちょっぴり難しくなっている(らしい)。そして何よりも算数のクラスを聞かれたら「Honorsクラスだから」といばれるのである。

私は高校で他の学校から転校したため、Geometryでhonorsクラスだったにも関わらず、カリキュラムが違うという事で一つ下のレベルに入れさせされた。これは弁明の余地があると信じたい。よそ者は簡単には新しい環境では認められないのだ。まさにサバイバルであり、それ以前に悔しい思いが募った。

私の友達はほぼ全員 AP Calculusのクラスを最終学年で取ったのだが、私は取っていないので AP Calculus ABとBCの違いがさっぱり分からない。もはや取る必要がない事を悟っていたので知る必要すらなかった。

高校の最後の2年間の算数は難しくはあったが AP Economicsが地獄の難易度であった為あまり記憶に残っていない。強いて言うならば私の算数のクラスはアジア人が私だけだったという事ぐらいであろう(ハーフはいたが。)

SATの算数もおそらくアジアからの留学生なら満点近く取っている人が大部分であろう。色んな所で「日本人ならSATの算数は心配しなくて大丈夫です」的な事が記述されているがこれは簡単に信じてはいけない。SATの算数は難しいのだ。最初は簡単そうな問題がちらほらあるが最後の方にかけて難しくなる上、習った事のない知能テストみたいな質問が出る事もある。

何を隠そう私はSATとACTを通算6回受けたので答え自体は分からないものの、どんな問題が出ているかは把握できているという非常に役に立たない記憶力を持っている。

大学入学までの算数との思い出はそんなものであるが、大学に入ってすぐ思い出した言葉があった。母が「日本にいた時は算数ができないと思っていたがアメリカの大学で算数を取ったら同じ内容でも簡単に感じた」的な発言である。ちなみに母はこのブログを見ているので上記の言葉はいつでも訂正可能だと言う事を肝に念じてもらいたい。

自分は算数が苦手だと信じていたがひょっとしたら..?と思い、人参嫌いを克服するかの様に Calculusのクラスを受講してみる事にした。

最初のクラスは遅れて教室に入った為、一番奥の席に急いで座った。すると私の後にもゾロゾロと遅れて何人かやってくるではないか。私の隣にインド人の生徒が座った為、人見知りにも関わらず、話しかけてみる事にした。インド人は算数ができる人が多いというステレオタイプを捨てきれずにいた為、「自分もそんな算数ができる人達と同じクラスにいるんだ」などと浮かれていた自分が恥ずかしい。授業が始まり、「高校の復習」だと教授は言うが何を言っているのかがサッパリ分からない。英語が急に分からなくなったのかと一瞬不安になったが、目の前の黒板に書いてあるのは数式であった。他の生徒は皆机に頭を突っ伏して数式をいかにも簡単そうに解いたり教授の説明に頷いているのだが、私の頭の中ではマハラジャが踊っていた。一言で言うと、理解不能なのである。

最初の授業が終わったと同時に算数の授業を変える事にした。GPAの為には諦める事も多い。もう算数は懲り懲りだ、と思いつつ 別のCalculusのクラスに変更をする事にした。教える内容は全く一緒なのだが、私が最初に取ったクラスは半年で終了するものを一年かけてじっくりゆっくり勉強するというクラスであった。

算数にはこだわりが一切ないので、半年掛かろうが一年掛かろうが、死ぬ前に人並みに算数が理解できれば大満足なのである。

ゆっくりCalculusと呼ぶ事にするが、このクラスは至って平和であった。クラスメートは黒人が多く、スポーツチームに所属する白人が数人いるという感じであった。もちろん留学生は私だけである。隣の子はノートに渦巻やアーティスティックな模様を書いていたので友達になれそうな気がしたが、授業中の眠気を回避するので精一杯であった為当時の自分を責める事はできない。

授業は簡単かと言われると全くそうではない。結局 Calculusは Calculusなので、初回トライアルでやめたあのクラスと同じ事を学ぶのである。運よくベテランの教授だったので、分かりやすく説明してくれた。問題点は眠りを呼ぶ声の持ち主であったが故に眠気と算数は切っても切れない関係であった。もしかしたら教授は算数の教授をしていなかったら催眠術のテープでも販売して大富豪になっていたかもしれない。

コツコツと頑張る事が得意ではないため、定期的にある小テストでロクな成績が取れなかったが、例年通り期末前に詰め込んだ結果、なんとかなったと記憶している。それでも自分の希望通りの成績では無かったが、授業中に眠気と格闘している者がつべこべ言う資格はない。

2学期目はさらに良い成績を取ろうと期待をしていたが、期待するだけでは実現しない。アメリカの大学はそう簡単ではないのだ。名門と言われる大学に入学し、高い授業料を払ってまで眠気がどうとか言っている場合ではないのは十分に分かっていたのだが生理現象というものは非常に言う事を聞かない。なので私は眠気を撃退すべく色々な方法を編み出す事にした。

メンソレータムを目に塗ったり(授業中に)足の運動をコッソリしたり試してみたのだが効果があった方法は二つしか無かった。

まずは眠気を吹っ飛ばす代表格、カフェインの導入である。

算数の授業は必ずランチの直後で一番眠くなる時間帯である。ランチを食べ終わると毎回卓球をし、友達からインスタントコーヒーを貰い、図書館でお湯をもらってから授業に向かうのだ。ほぼ毎回コーヒーを提供してくれた上、期末試験の直前に算数を教えてくれた友達に感謝である。ちなみに眠気の度合いが若干軽くなった気がしたが、眠気は相変わらずなので気休め程度なのかもしれない。

眠気は完全に消えない上、最前列の居眠りしてはいけないポジションを堂々と陣取っていた。これは自ら進んで取ったポジションであり、自身の意志の強さを表明かつ眠ってはいけないという戒めを込めた物であったが、効果は無いに等しかった。

次の秘策はお菓子である。マリーアントワネットが言っていた様にパンがダメならお菓子を食べろ、ではなくコーヒーがダメならお菓子を食べればいいじゃない説である。私は欲張りなのでコーヒーとお菓子を同時に持って来ていた。

小学校から高校まで漫画を読みながらお菓子を食べるのが大好きだった為、エンターテイメントを見ている感覚で授業を聞いてみてはどうかと思ったまでの事だ。ポップコーンを頬張りながら映画を見る感覚だ。

結論から言うと、これが効果てきめんなのだ。授業中に最前列でコーヒーをすすりつつ堂々とお菓子を食べる生徒はあまり見た事が無いが、多分教授も長年教えて来て数人居たか居ないかであろう。ましてやアフタヌーンティー並にコーヒーとお菓子のセットを広げて授業に挑む奴なぞアメリカ人もびっくりである。

ちなみに眠気覚ましにおすすめのお菓子はチョコパイとチョコレートだ。暖かいコーヒーと一緒に食べるとどこかの貴族になった様な優雅な気分になれる。ロマノフであれハプスブルグであれ教育は重視されているので算数の勉強もますます身が入る事であろう。

優雅さとは離れるが酢昆布も太鼓判を押したい。旨味と酸っぱさに眠気は一目散に退くはずである。ちなみに私は親から送られてきた酢昆布の大半を授業外で消費してしまった為、非常に後悔をしていた。

一番オススメしないのはお煎餅一択である。私の大好物で納豆の次に無くては生きられないお菓子なのだが、静かな教室で煎餅のバリバリという音がこだまする羽目になるのは避けられない。それでも煎餅の誘惑に勝てず食べてしまったのだが気まずさは拭えない。でも美味しかったのでとりあえずOKである。

もちろん食べてばかりではいけない。先生の説明などを食べながら必死に書き写すのであるが、ここでノートを使うと効果が薄くなる。私はノートは綺麗に書きたい派なので、先生の説明をわざわざ厳選して丁寧に書いているうちに大事な部分を聞き逃す損なこだわりがあるのだ。なのでA4の適当な紙に書き留めるのが良い。

こうした工夫もあってか、私はAを取り、Calculusを終えた。期末試験が今までの小テストと同じ問題という教授の優しさと期末の一週間以上前からの入念な準備による初快挙であった。

眠気以前に Calculus自体が怒涛の難易度であったので泣きたくなる事もあったが 算数に対するモヤモヤが大分晴れたので自分なりに成長したと言えるであろう。ちなみにコーヒーとお菓子のダブルコンボで体重の増加は逃れられなかった。だが同時にGPAも上がったので良しとする。

 

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